オーストラリアは1988年、建国200年祭を盛大に行いました。しかし、5〜6万年も前から、この大陸には先住民が住んでいました。彼らをアボリジニと言います。
大航海時代、ヨーロッパ探検家たちは、伝説の「南の大陸」〈テラ・オーストラリア〉を求めて、大海に出ました。17世紀はじめ、オランダ人によってオーストラリアは発見されます。注目を浴びるのは、1770年、イギリスのキャプテン・クックがエンデバー号でシドニーの近くに上陸してからのことです。オーストラリアがイギリス領になってからは、アボリジニは居住地を追われ、厳しい差別を受けます。イギリスは、1788年、ニューサウスウエールズを囚人流刑のための植民地とすることを宣言します。最初の総督はアーサー・フィリップでした。それからは、白人文化が広がっていきましたが、アボリジニは殺されたりして急速に衰退していきました。
19世紀おわりごろ、金が発見されたことで、オーストラリアは流刑の地「呪われた大陸」から、「夢の大陸」へとその姿を変えました。 ゴールドラッシュの賑わいは、とどまるところを知らず、世界中から黄金を掘り当てようとする人たちが移住してきたのをきっかけに、移民を制限する法律が作られ、白人中心の考え方「白豪主義」が強くなっていきました。1901年、オーストラリア連邦が成立し、形の上でイギリスから独立します。第2次世界大戦では、連合国側として、日本とは敵対しました。
戦後、オーストラリアは移民を増やす政策を進め、初めはヨーロッパ人に限っていましたが、後に中近東、アジアからの移民も受け入れるようになりました。1970年代半ばごろからは、「白豪主義」にかわって、移民の持つそれぞれの文化の共存を認める「多文化主義」<マルチカルチャリズム>を推進しています。
オーストラリアの先住民族はアボリジニと呼ばれています。その語源はラテン語で「はじめから」の意味を持つ「アブ」と「オリジン」が合わさってできています。言葉の意味通り、アボリジニは4〜5万年前からオーストラリアの地に暮らしてきたとされています。
一口にアボリジニといっても、広大なオーストラリア大陸に散在していた部族であるため、地域によってまったく違った言語、生活習慣、食文化、芸術などが存在します。当初は700以上の部族に分かれていました。言語も昔は250を超える言葉が存在していましたが、現在では大きく分けて26〜28種類の言語が存在します。
アボリジニの特徴としては、