 浅草 (担当:あゆみ)

浅草寺の周辺は大衆的娯楽の街。
浅草は懐しいところそして楽しいところである。浅草は何時行っても誰が行ってもざっくばらんで気軽に笑顔で迎えてくれる。素顔で気軽に楽しめるお江戸以来の民衆の盛り場であり、今でも時間の流れに逆らって東京で唯一江戸が見え隠れしている。
この浅草の良さを育んだのは偏に観音様が有るからに他ならない。観音様にお詣りする人々は観音様の御利益に背てはならないとする地元の人たち、信仰心は善良ならしめ、和睦ならしめる。そこに開放的親和的な万人共楽の郷が生まれたのだった。日本情緒あふれる観光地として海外からの観光客も多く訪れる。毎月、伝統的で風情のある様々なイベントが催され、見る人を楽しませている。
■浅草寺
推古天皇36年(628)の早朝、檜前浜成・竹成の兄弟が江戸浦(現在の隅田川)で投網中に一躰の仏像を感得しました。郷司であった土師中知はこれを拝し、「聖観世音菩薩」のお像であることを知り、3人で深く帰依したというのが浅草寺の草創です。のちにこの3人は「三社権現」(今の浅草神社)として 祀られました。 平安初期に慈覚大師が来山し、「お前立」のご本尊を謹刻され、のちに「中興開山」と仰がれることになりました。 鎌倉時代には将軍の信仰も厚く、その外護のもとに伽藍もととのいましたが、とくに江戸時代にいたって徳川幕府の祈願所となり、いよいよ堂塔の威容も増して大江戸文化の一翼をにない、庶民安息の浄地となりました。かくして浅草寺は「浅草かんのん」の名称で、全国の人から親しまれ、わが国の観音霊場の代表的な寺院となり今日におよんでいます。その間、戦災で堂塔伽藍を失いましたが、十方信徒の方々の尊いお力添えで、昭和33年(1958)10月に観音堂が立派に再建されました。ついで雷門が95年ぶりに、仁王門が寺宝を収蔵する宝蔵門として、五重塔が永代供養の霊牌を奉安する塔院として復興されました。(浅草寺ガイドより抜粋)
■仲見世
仲見世は日本で最も古い商店街の一つ。 徳川家康が江戸幕府を開いてから、江戸の人口が増え、浅草寺への参拝客も一層賑わったが、それにつれ、浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えられた。これが仲見世の始まりで、元禄、享保(1688〜1735)の頃といわれる。
今の仲見世には東側に54店、西側に34店、合計88店の店舗があり、長さは約250メートル、美しい統一電飾看板と四季折々の装飾が石畳に映え、雷門をくぐった海外からの観光客などは、みごとな日本的情緒に思わず「ワンダフル」を連発する。
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