高祖:そういうのかなり意識的に、例えば、corp sans organs, body without organsっていうのもようするに、地球は我々の身体だ、自然は我々の身体だ、ただし、non-organic身体。器官として、我々の器官じゃないけど我々の身体だと。そこで微妙につながっている。それから、あとはテリトリアリゼーション、デテリトリアルとか。土地・・・日本語だとどういうのかな・・・昔は独領化といったんですけれど、最近は変わりましたね・・・。
森村:なんていうんだろ、再領土化とか領土化とか呼ばれる・・・。あともう一つは欲望される機械というふうに、ドゥルーズが使ったりするときに我々の生体とか欲望をメカニック、マシニックっていってるんですよね。メカニズムじゃなくてマシーンなんだって、ドゥルーズが言うときに、人間の生体とか身体も一つのマシーンだし、外界の無機的な運動もマシーンなわけですよね。だからその意味でマシーンも一元論みたい。それを考えるときに、内と外とかという二元論からとりあえずずれていく。だから、誰だったかなー、ドゥルーズが文法を論評したときに、斜線を引くっていう言い方をしてて、それは自分の哲学なんじゃないかなーって思ったんですけれども、つまり通常直角線を縦軸横軸X軸Y軸って書くのに、それに斜線を引くって言う考え方をして、次元を連続させてしまう。それがドゥルーズ。
高祖:斜めに?
森村:斜めに。ええ。普通こういうの、ガって軸を別なとこにとったときに、そこに出てくる切断面が面白いんだって話を議論の中でしているときに、なにかそこに、まあイメージでしか語れないんですけれども、何か新しい哲学とか世界の見方が・・・。
高祖:なんか勝手にそこにつなげちゃうと、マリファナやってるみたい・・・
森村:ハハハハ!
高祖:上部構造、下部構造っていうものを、重力のメタですよね、経済的土台と、それに対してもうちょっとアルチュセール的なイデオロギー、もうちょっと農産的な、斜線みたいな・・・。
森村:ええ、両方を横断しちゃうような。
三上:エージェントの概念ですね。
高祖:エージェントの概念。
三上:ま、企業でも今ありますよね・・・。
高祖:その概念があるわけですね。
三上:まさしく斜めに。
森村:斜めに。
三上:斜めにくることによってあらゆることを含んでしまうあらゆることってのはありえないんですけれども・・・。まあそういうことがある・・・。脳    XYZの。
森村:だいたい。
高祖:じゃあ聞きましょうか。
会場:ハハハハハハハハハハ!
 
  森村:今三人で相当哲学的というのか印象的な話をしちゃったので、ちょっと学生さんたち、なんだろうと思って聞いていた人にはあれかもしれないけど、何かお二人の講演、プレゼンテーションで面白かったとか、この辺はどうなんだろうっていうことを含めて疑問質問や・・・。
森村:コメント。
森村:を頂きたいんだけれど、どんなことでも、あの恥ずかしがらずにこの機会だから・・・。なんかないの?」
生徒1「三上先生のお話を聞かせていただいて、重力っていう概念を普段引っ張られているはずなのに、全然気づかなくて、高祖先生のお話の中でアクシデントが起きて初めて本質が見えるという、機能していたものが、機能しなくなったときに、そういう瞬間が見える。で、重力が機能しないことはとりあえずありえないじゃないですか。なのに、そこを研究されているというところに、すごく疑問?疑問というか、なぜ重力というところに気づかれたのかなというところをすごく気になっていて・・・。
三上:重力を意識したときに、すごく身体の問題が、さきほども言ったように、知覚といってもテーマがおおきいじゃないですか?だから聴覚とか視覚とかだけって色々やってきたんですけれでも、やはり身体のことを考えると重力、、まぁ、建築ものことも少しは意識したんですがバス停のデザインやなんかをやってみたいっていう、そういうものあったんですが。美術館ではなくて、ある人がそこへ来て、去って行くという場所に何かをつくるという。いろいろ考えたときに、横軸と言うのを。重力はむかしから興味があったんですけども、もう横軸の時代なんだという概念があったし、たぶんビビリオも最近出した本でも、それが遠近法を崩していくといっていて。逆行するように身体の問題を考えるときに一回ここを考えなければ、考えて、自分なりの答え科学者的ではなく、アーティスティックな視点から自分なりの答えを出さないと、知覚であるとか認知であるとか、そういう問題に多くはできないのではないかと個人的に感じていて。たまたま、建築化の市川さんもそういう考えを建築の分野でもっていて、建築というのはまさに真っ先に動力をなくしては考えられない、多少プラグ、空に浮くなどあるが、トマス・フィートンなど。(わたしも)始めたばかりなのですが、今年の三月に。バージョンアップしていくところで、わたしの何か答えを出さないと、いやおうが無くついてきてというか、しばられてというか、そこを考えないと。そこは変える事はできないのです。われわれはこの地球に生きて、重力の中でデザインされて生きている。すべてそうなんだが、つめも、目も、耳の形も。そこを一回再考する必要がある。その上で、もうちょっと違った形でアバーセクションとか、さっき言ったようなものをもう少し、違う観点からできるじゃないのかなと、考えたってのはあります。
高祖:一番否定されていて、一番意識していないっていう、あなたがさっきいったけど、そんなかんじだよね。
森村:他に何か。どんどん聞いて。
 
  生徒2:メディアアートってものをそんなにきちんと見たことがなくって、三上先生の作品はどういうものかってのをずっと聞いてきてたんですが、わたしが抱いていた「芸術」とか「アート」とかっていうものよりも、研究しているといった姿勢にみえるんですけど、目的とか、そういうわけではないんですが、何でメディアアートなんですか?
三上:メディアアートってのはわたしがやってたわけじゃなくて、メディアアートはもともと存在していて、たぶん、アーティストの数だけカテゴライズされている、カテゴリーがあることだと思う。一般的にメディア芸術祭とかで言われているものだと、さっき言ったようにアニメーションだとか、いろんなメディア?ゲームだとか、そういうものも審査の対象としている。
高祖:日本の政府とかが?
三上:はい。日本の政府がやっているもので、いわゆる、解釈としてのメディアアートっていうのは、ICCであるのとか、IAMASって岐阜県でやっている機関で、すごく学費が安くてメディアアーティストメディアアーティストの人だけをわりと、育てていこうっていう機関があるんですが。
高祖:学校ですか?
三上:やはりそこでも、コンピュータを使って、ボタンを押して何かが出るっていうことがずいぶん多い。だから、アーティストの数だけあるってことで。「メディアアートと哲学の間に」となってしまいますと、わたしはメディアアーティストと名乗ったことは一度もなくて、アーティストってカテゴライズで、わたしはたまたまこういうことをしていて、もしかしたら、メディアアート全般とはかなり違うかもしれない。あまえい、同じことをやっている人はいない。ヨーロッパや、ドイツに、何人かいますけど、ただ、おっしゃってることがとてもおもしろくて、何人かの方は研究機関に属していて、大学でもバイオロジー研究をやっていたとか。建築家でも最近、そのいわゆる、サイバーアーキテクチャーとか呼ばれている人たちは建築物を実際につくらないで、こんなピュータ上でいろんなアイディアを出してそれをコーディネートしたり、プログラム作ったりして、フォームっていう、コンピュータライズして建築化して。非物質化?!していく中で、あらゆる、まぁ、建築とアートってのが多いんですけれども、メディアアートとして集まっていたりとかしますね。日本ではCanonのアートラブというのが一年に一回ずつ、いろんなアーティストをって感じなんですが、日本では古橋悌二さんていう、ダムタイプというのがあるんですが、その後のダム・タイプとしてはフォーマットとして抜けている。あと、他にはドイツ、スペイン、フランスなどでベルリンは年に一回あって、割と狭い世界ではあるけれども、日本の場合は割りと開かれていて、ゲームだとソフトウェアとかをつくったり、商業ベースにならないものに投資して呼んだり、商業ベースになっているのはさっきの文化庁のなどですが、メディア政策。だから、わたしの行っているのは全然メディアアートとはイコールではないかもしれない。
高祖:それは、だから、結局、僕の考えだと、劇場と工場のメタの違いっていう。劇場のメタファーっていうのは、メディアを使っても、コンピュータを使っても、お絵かきをしているのと変わらないわけだから、ある種、イメージを作るのが目的だから、そのためにめでぃあをつくっているわけでしょ。メディアと身体をどういう風にメディアっていうか、何ていうかな、僕らが生きていると、いろんなメディアがあったり、社会があたり、表象の体験ネットワークにはじまり、存在している。そういうメディア自体を使って、その中で、自分の反省的なシステムをつくるのが、こう場合のメディアアートっていうか、工場としてのメディアアート。そういう解釈です。
三上:恒常としてすごくわかりやすいのが、みんなウィリアム・フォーサイスダンスってご存知ですか。日本にかなり来ていて、それはフランクフルトバレエで、モダンダンスで、今度機会があったら、ちょっと高いんだけれどもフォーサイスのバレエ団が来たら、見たらいいかなと思う。体の動きとかかなりおもしろいし。ただ彼が実験的にメディアアーティストを使っているのは、さっきも彼女から質問があったように恒常的に使っているのね。彼らはシアターだから、シアターってダンスって言ってもシアトリカルな部分が多いので劇場じゃないですか。劇場空間で見せるんですね。ただどういう使い方をしたかっていうと、例えばメディアアーティストがコンピュータで作った画像を天井に上映しているんですね。で、ダンサーっていうのは、その天井のコンピュータが生成していく画像を見ながらそれに合わせてダンスをしていくんですね。ただ劇場で見ている人は、そのコンピュータの画面は一切見えないんです。だからコンピュータの動き、その自動生成していく動きに合わせていくダンスを見るんです。で、これは、シアターという形態を借りながら全くこの、リアルタイムで恒常的に動いてるっていう、そういう一つの例。
 
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