2003後期論文
比較のヴィジョン〜『冷血』・『復讐するは我にあり』〜
永野 智春


 

はじめに

 トルーマン・カポーティ『冷血』と佐木隆三『復讐するは我にあり』は非常に近接した視点・方法を持ち合わせる作品であり、比較が可能である。
 ここでは、形式比較、製作比較、内容比較、時代背景比較、描かれた動機の比較をし、そこから導かれるものをそれぞれ記す。


1.形式比較
2.制作過程の比較
3.内容比較
4.時代背景比較
5.描かれた動機の比較
参考文献・参考資料


1.形式比較

 『冷血』において描かれる世界は二つある。被害者側の世界と加害者側の世界である。そして、その二つの世界は平行して流れている。冒頭では、クラター一家の平和な暮らし(被害者側)と犯人たちのクラター一家殺害への着実な忍び寄り(加害者側)が、ある程度の長さで交互に叙述される。それは例えば、クラター一家が感謝祭や目前に迫った娘・べバリーの結婚式の準備をしている一方で、犯人であるペリーとディックが、クラター一家にさるぐつわをはめ、縛り上げるためにもっとも適したロープの種類を選んでいる、といった場面である。やがて、二つの世界が一致する場所が訪れる。殺害である。これにより一致した世界はまた二つに分岐して行く。被害者であるクラター家の世界を引き継ぐ刑事たちの世界と、犯行後に逃亡することとなるペリーとディックの世界である。逮捕によりれら二つの世界は再び一致される。基本的に、二つの世界は並立し、共時的語り(synchronic narration)の手法が用いられている(『The Mythopoeic Reality』P117)。立体的で膨らみがあり、上手に焼けたホットケーキのようだ。
 『復讐するは我にあり』において描かれる世界は一つのみである(必ずしも線的に描かれておらず、時間軸を前後に飛び回ることはあるが)。それは、犯人と死亡した被害者を除いた中で、事件に関わった人たちの世界である。冒頭での、婆さんが朝食の大根を畑に取りに行き死体を発見する場面に続くのは、ブロック工が仕事場へバイクで向かう途中に死体を発見する場面であり、次に殺人のあった日の被害者の行動を仕事仲間たちの視点から説明する場面に移行する。このように、全体を通して断片的な様々な場面の集まりであり、犯人と死亡した被害者を除いた中で、事件に関わった人たちの時間、それも、彼らが最も深く事件に関わった時間、を抜き出して繋げている。『冷血』とは対照的に、並立する世界はなく、基本的に通時的な語り(diachronic narration)の手法が用いられている。平面的で堅実であり、しっかりとした薄焼き煎餅のようだ。


  2.製作比較

 『冷血』において描かれることとなる実際の殺人事件(クラター一家惨殺事件)は1959年の11月に起こった。カポーティはその直後に現場の村に駆けつけ、資料の収集を始める。村の人々とも関わりを持ち、カポーティ自身も独自に事件の捜査に関与して、他の誰も知らない情報も持っていたと言われる(『トルーマン・カポーティ』P197)。犯人の逮捕後は、刑務所にいる彼らと文通をする権利を得ると共に、彼らにそれぞれ二度ほど面会をして話を聞いたという。作品として仕上がったのは、彼らの死刑が執行された後の1966年であり、事件発生からの6年間を使い資料の収集・整理を行ったとされる。
 一方、『復讐するは我にあり』において描かれることとなる実際の殺人事件(西口彰事件)は1963年11月に起こった。十年が経ち、佐木隆三が事件についての取材を始めたのは犯人の死刑が執行された後であった、そのため、彼は犯人との面会はおろか、文通すらもし得なかった。残された手記や手紙を読むことが、犯人と触れ合う唯一の方法であったが、それではとうてい犯人から発せられる事件の枠組みには接し得ないので、犯人の歩いた道を実際にたどって、犯人に出会った人の側から事件を描くことにしたという(『犯罪するは我にあり』P23)。
 このように両者の制作の過程から比較すると、良い意味においても悪い意味においても、加害者側に深く足を踏み入れることができたのは、カポーティである。そう考えると、犯人たちの世界を被害者側の世界とを並立させ、立体的に描くという可能性をより大きく持ちえたのはカポーティである。そして、佐木隆三には、共時的に描くという選択肢さえなかったように思われる。  しかし、ここで大切なのは、犯人たちと直接的な接触があったからといって、作品の中で忠実に真実を再現できるとは限らないということである。直接的な接触をすればするほど、客観的な視点を保つことが難しくなることもありうるからである。かえって、直接的な接触がない方が客観的な視点を保つことは容易であり、事件そのものに近づける可能性は大きくなるのと言えるのかもしれない。


3.内容比較

 『冷血』、『復讐するは我にあり』において、描かれる内容は、端的にいうと、双方とも、殺人が起きる、犯人が逃げる、捜査が進む、犯人が捕まる、裁判が始まる、刑が決まる、刑が施行される、という流れを持つ。従って、内容を比較する上での焦点となるのは、なぜ犯人(たち)が犯行に至ったのかという問題であろう。つまり、殺人の理由の違い、という問題である。
 『冷血』における殺人の理由は≪境遇への復讐≫であろう。ペリーとディックはクラター家に、≪強盗≫を目的に押し入り、ごく僅かな金品と引き換えに四人の命を奪う。「誰にも言わないから、金を取ったら出て行ってくれ」と、クラターは犯人たちに従順であったのだが、一家は惨殺さてしまうのである。後にペリーは、「クラター一家が殺されたのは偶然である」という趣旨のことを語る。それは、ペリー自身の生れ育った不幸な境遇と正反対な立場にあったクラター一家の存在自体が、無意識に抱え込んできたペリー自らの問題に偶発的に触れてしまい、それが理由で、殺人が起こったということを意味する。≪強盗≫を目的に押し入ったが、殺害した理由は≪境遇への復讐≫である。
 一方、『復讐するは我にあり』における殺人の理由は、≪強盗≫ではないだろうか。もちろん、そのタイトルが示す通り、≪自らへの復讐≫が理由であると考えられなくもないが、そう考えるには、犯人が手をつけて行く犯罪に金が絡みすぎているし、そのような判断を下すための情報が少なすぎる。(犯人へのインタビューができていれば、内容の描かれ方も変わり、≪自らへの復讐≫が理由にあったと断定できるようになっていたのかもしれないのだが・・・、と考えるのは後の祭である。)


4.時代背景比較

 『冷血』において描かれることとなる殺人事件が起きたのは1959年であり、『冷血』が出版されたのは1966年である。この頃のアメリカは、学生抗議運動・冷戦の恐怖・人種暴動・暗殺が続き、市民が本格的に武装を始めた時代にあった(キューバ危機1962年、ケネディ暗殺1963年、マルコムX暗殺1965年、大学紛争深刻化1969年)(『概説アメリカ文化史』P251)。その結果、犯罪は増加した。犯罪件数は1960年の338万4千件から、1992年にはおよそ3倍の1443万8千件にまで増えた(『概説アメリカ文化史』P248)。1959年という年は、犯罪の増加が始まる出発点のようなものと考えられる。凶悪な一家惨殺事件が、都市部ではなく、ど田舎の小さな農村で起こったことも、以後に増え行く犯罪を予感させるかのごとくである。
 『復讐するは我にあり』において描かれることとなる殺人事件が起きたのは1963年であり、『復讐するは我にあり』が出版されたのは1975年である。日本では、1960年代の始めに、池田内閣による国民所得倍増計画が発表されるとともに、1964年の東京オリンピックに向けて、道路の整備や東海道新幹線の建設などが行われ、いわゆる高度経済成長期に入る。農村から都市へと人口は流動し、地域による格差が生じる。その格差ゆえに生じた、目に見えない穴に落ちたのがここで扱われる犯人なのかもしれない。ところで、1963年は「吉展ちゃん事件」「狭山事件」という大きな犯罪が起こった年である。どちらの事件でも警察の不手際が明るみに出て、特に「狭山事件」で捕まった犯人は事件に関係しておらず冤罪である、という可能性が色濃く残り、緒を引いて行くことになる。『復讐するは我にあり』においても、警察の不手際(逮捕時の警察の動向など)が描かれており、当時の犯罪捜査の拙劣さを示している。急ピッチで発展してゆくが故に、ある部分が疎かになって行くという日本の様相がこのようなところに露呈していたのかもしれない。


5.描かれた動機の比較

 カポーティは、実際に起きた殺人事件を題材として選んだ理由について、ニューヨーク・タイムズのインタビューにおいて、次のように述べている。

あの素材を選んだのはまったく文学的な動機からです。この決心は20年以上も前、職業作家として一歩を踏みだしたときから心にあった理論に基づいています。ジャーナリズムやルポルタージュといったジャンルは、新しい真摯な芸術形式を生みだすべきだという考えです。全体としてジャーナリズムはあまりに過小評価されており、文学の一手段とは見なされていません。(※1)

 クラター一家の事件が自分の探していたテーマだったというのがわかっていたのか、という質問に対しては、次のように述べている。

わかりませんよ、すぐにはね。しかし、その記事(事件の記事)を読んだあと、ひらめいたんです。このような犯罪を追いかければ、私が書きたいと思っていた本を書くのに必要な広い視野が得られるかもしれない。しかも、人間の心のありようを描くことだから、殺人というテーマはけっして古びない。(※2)

 これらの言葉から考えると、カポーティが実際に起きた殺人事件を主題に選んだ動機は、新しい形式の文学を作るという必然性が見受けられるが、クラター一家の事件を選んだのは偶然であるようだ。

 一方の佐木隆三は、次のように述べている。

『復讐するは我にあり』は、1963年に起こった連続殺人事件が、素材になっている。当時Nの犯行は、”殺人魔”として、かなり大きく報道された。にもかかわらず、わたしは、それほど関心を抱いていたわけではない。殺人事件に関心をもつような連中は、志の低いヤツとして、内心では軽蔑していたように思う。それが、十年後の1973年になって、どういうわけか、Nの事件について調べたくなったのである。ちょっと自分でもそのへんの気持ちがわからない。(※3)

 この言葉から考えると、佐木隆三にとっては、実際に起きた殺人事件を主題に選んだのも、西口彰の事件を選んだのも、偶然であるようだ。




※1『トルーマン・カポーティ』P224
※2『トルーマン・カポーティ』P226
※3『犯罪するは我にあり』P12・13

 参考文献・参考資料
『冷血』 トルーマン・カポーティ 新潮文庫
『復讐するは我にあり』 佐木隆三 講談社文庫
『トルーマン・カポーティ』 ジョージ・プリンプトン 野中邦子訳 新潮社
『犯罪するは我にあり』 佐木隆三 作品社
『概略アメリカ文化史』 外岡尚美、堀真理子、笹田直人編 ミネルヴァ書房
『The Mythpoeic Reality』 Mas'ud Zavarazadeh
『昭和の記録19昭和37・38年〜先進国への道』(ビデオ) NHK



あとがきにかえて

 分岐してゆく多岐にわたる雑多な世界において、比較的視点は堅実な土台となり、重要な道標となる。過去と未来に刻まれる正確な思いに・・・