2002年度 卒業論文

『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』における
言葉遊び、マザーグースの翻訳の可能性


山下 稚加

 

目次
1. はじめに
2. ルイス・キャロルについて
3. どうしてアリスの翻訳は難しいのか 
T詩・マザーグース
@ マザーグースについて
A どのように翻訳したらよいのか
B マザーグース 詩のもじり・韻ふみ
C かばん語、新造語、古語、逆成のまざりあい
D 期待の星

U言葉遊び・キャロルが作り出した語、またはナンセンス語
@ 音(異綴同音異義・同綴同音異義・類似音)
A 意味(辞書的・比ゆ的・慣用句的意味)
B 表現(疑問文の答えかた)
C 文法(語順・造語)
 
Vロジックを含む冗談
 @意味論
4.まとめ
5.不思議の国のアリス・鏡の国のアリス で使用されている言葉遊び・詩のパロディ
番号早見表
6.参考文献

 



はじめに

  『不思議の国のアリス』("Alice's Adventures in Wonderland," 1865)にはじめて出会ったのがいつだかは覚えていない。それだけ、何度も人生の中で見て、聞いて、読んできたからである。不思議の国のアリスがイギリスの絵本であったこと、作者、ルイス・キャロル(Lewis Carroll)本名 チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(Charles Lutwidge Dodgson 1832〜1898)が、仲のよかったアリスと言う少女宛てに書いた本であったこと、マザーグースが使われていたこと、言葉遊びがたくさん使われていて、実は本当に言葉の上でも、不思議の世界の物語であったことを知ったのは、本当につい最近の話になる。ただのおとぎの国の絵本としてだけでなく、作者自身、作られた国の背景、文化、そしてお話の中に出てくる一つ一つの、言葉、単語に注目しながら、物語を読み直してみようと思う。また、意味論、翻訳論などを考慮に入れた上で、日本語でどのように翻訳されているのかをみてみようと思う。
  そういった観点から『アリス』を読むと不思議の国で起こる突拍子もない出来事のつじつまがあってくる。登場人物のちぐはぐでいらだたしさすら感じる会話が意味を持ち始め、作者からのメッセージがより伝ってくる。言葉の意味を知っていることと言葉を適切に使えることとは同じではない。不思議の国の住人たちは言葉の意味を解釈することには感受性を発揮するが、言葉をうまく使ってコミュニケーションをとることは苦手である。文字通りの意味にこだわる彼らは同じ言葉の意味が場面によって変わることや、あるいは言葉にならないまま間接的に伝わる意味もあるのだということを理解していない、そのため彼らの発する文は論理的には無矛盾であるが、情報としての価値がなかったり現実離れをしていたりして現実の世界に住むアリスを困惑させることになる。
このルイス・キャロルの不思議な魅力に取り付かれた気分で、『不思議の国のアリス』とその続編といわれる『鏡の国のアリス』("Through the Looking-Glass," 1871)を通して、言葉遊びの翻訳の可能性に迫ってみようと思う。


2.ルイス・キャロルについて
  イングランドの北西部チェシャー州の北方に、ダーズベリーという、緑の田園に囲まれた静かな小村がある。この村で、1832年の1月、ルイス・キャロルこと、チャールズ・ラトウィッチ・ドジソンが生まれたのである。彼は、有能な数学者であり、彼の独創性は主に遊びの分野で発揮された。11人兄弟の長男として、小さい頃から、兄弟の面倒を見る際、遊び道具を作ったり、即興の芝居を考え出していた。13歳くらいになると、コミカルな絵や詩、文章が書かれている家庭内回覧用の『有用有益なる詩』(Useful and Instructive Poetry 1845発行)なども書いて家族を楽しませていた。
17歳の頃、オックスフォード大学(Oxford University)入学前になると、家庭内回覧用の新聞をさらに発展させた、イラスト交じりの散文と詩の雑誌、『牧師館の雨傘』 (Rectory Umbrella: 1850-1853)』発行)の製作に取り掛かった。これには、芝居の戯曲やスケッチ文などで埋められ、しかもそれぞれに添えられている絵はパロディ性にあふれ、のちのちのキャロルの才覚が見事に開花している。そしてそれらの力は、ルイス・キャロルと言う名で出版された数学ゲーム・パズル・論理のパラドックス、手品のトリック、なぞなぞ、あらゆる種類の言葉遊び、特に、しゃれ、アナグラム、アクロスティリックの詩への愛着と言う形で現れている。
  1856年、彼が24歳のとき、オックスフォード大学のクライスト・チャーチへ着任した。そこで、数学を教える傍ら、写真術に没頭し始め、運命の出会いともいえるアリスのこの年遭遇することになる。彼女は、クライスト・チャーチの学寮長ヘンリー・ジョージ・リデル(Liddell, Henry Georg)の娘であった。新しいカメラを手にし、外へ出かけたキャロルは、学寮長の庭で、リデル家の三人姉妹が遊んでいるところをみかけた。そしてその3人と仲良くなっていく仲で、とりわけアリスとの交流が急速に深まっていったのである。それから、6年の月日が流れ、ついに1862年、文化遺産が生まれる日が来た。リデル家の娘達と、ある夏の昼下がり舟遊びに出かけた。そこで、アリスから、「お願い、おはなしをきかせて」といわれどんどん口から出てくる言葉を話しにしながらアリスたちに聞かせたのである。こうしてできたのが、『地下の国のアリス』(Alice's Adventures Under Ground)のちの『不思議の国のアリス』である。即興ながらも、巧みに言葉遊びや、詩のもじりを含み、彼女達を楽しませたのである。


3.どうしてアリスの翻訳は難しいのか 
 この二つのアリスの絵本の英語を他の言語に翻訳する際に、問題となるのは、
1、 詩(マザーグースなど)
2、 言葉遊び・キャロルが作り出した語、またはナンセンス語
3、 ロジックを含む冗談
の3つにまとめてみた。これらだけが問題点とは、いえないが、わかりやすくするために、これを用いて、話を進めていこうと思う。

T 詩・マザーグース
物語にちりばめられたたくさんの詩やマザーグースのもじりは、原詩を知る英語圏の読者には最高の面白みがあるところであるが、日本語にすると最もつまらない箇所になってしまう。その理由として、
A. 原詩そのものを知っているわけではないし、固定した日本語訳があって訳詩として知られているわけでもない。だから、作品中の詩を日本語で読む読者には、それ原詩なのか、もじってあるのかは全くわからない。だから、どんなにこったパロディであろうと、対比する原詩が頭の中にないのだから笑いようがない。
B. 訳詩では、英詩の韻律の見事さ、面白さを伝えることが殆ど不可能である。その結果、原文のもじりがどんなに上手に語を選んで、リズムとライムを整えて、原詩を変えるのに成功していても、日本語ではそれが生かされることがない。

以上の理由から、極端に言うと、ストーリーそのものと直接関係ないこの部分は、時にはなくても日本の読者には困らない箇所である。しかし、最近では、『注釈付アリス』(The Annotated Alice)というものが出版されているところからもわかるとおり、作品が作られてから100年以上も経過した今になると、英国の子供達にとってさえ、これらのもじりは理解するのに難しくなっているようだ .。.とはいっても、自国文化なら、完全にわからないまでも、かなりのところまで受け入れられる。だから同じように難しいといっても、その程度は比べようがない。

@マザーグースについて
 私たちが外国語を学習する際、言葉の辞書的意味の習得は、それほど難しくはない。極端に言えば、勉強次第で外国人としてのハンディは簡単に解消する。しかし、そういった辞書的意味ではなく、ある言葉や表現が喚起したり連想させたりするものとなるとその言語の中で生まれ育ったものと、その言語をただ外部から習得したものとの間にはどうにもならないほどの隔たりがあるように思う。そしてそれは結局両者の分かりかたの間の大きなずれとなって現れている。
 言葉の喚起性というものは辞書で表される性質のものではない。それは多くの場合、学校での勉強では補足し得ない生活基盤そのもの、広義の「ぶんか」から生まれてくる。言葉がどういう感情を喚起しどういう連想を伴うか、それを決めるのは、生活であり文化であり、要するに過去一切の経験の総和である。過去の経験の中に、個人の場合でも、その個人の意思や個人の生活体験を遥かに超えた民族の集団的無意識といったものが入ってくることは言うまでもない。個人の過去の経験の中で重要なものの一つであるのが幼少時の生活体験といえる。このマザーグースというのは、イギリスで、まさにそれを形成し支える大きな柱の一つになっている。簡単に言えば、イギリスの伝承童話で、日本のわらべ歌のようなものである。研究家によっては、「親が自分の子に読んで聞かせ、子供がいつの間にかそれを記憶する。」というものが、マザーグースの基本的なあり方だと断定している 。イギリスの伝承童話を親しむことで、英語圏国民の生活感覚や、言語感覚が伝わってくる。
このマザーグースの名前の由来はいろいろと言われているが、一番有力なのは、フランスが起源ということである。フランス17世紀の作家ペロー(Perrault, Charles 1628〜1703)に有名な童話集があり、その副題が、『マ・メール・ルワーのコント』(Contes de mere l'oye)であった。これは、英語の『old wives tale』に該当し、話し好きの年寄りが口にする、らちもない話ということらしい。最初にそのフランスのお話が訳されたのは、1729年のことであるが、ここで初めて、『Mother Goose stories』としてマザーグースの名が英語に登場した。しかし、現在のマザーグースの内容とその、『マ・メール・ルワーのコント』の内容、『シンデレラ』や、『長靴を履いた猫』などが含まれていない。これは、はじめ1729年に訳され、イギリス中にこの童話集が広がり、マザーグースと言う名が耳慣れた頃、18世紀後半になって、ある童話作家が、マザーグースという名で、イギリスの伝承童話集を出した。そして、現在に至るといわれている。そのため、マザーグースの称呼が登場した時期と、イギリス伝承童話の発生時期は全く別のものである。そして、その本になったから、イギリス伝承童話が、イギリスに広まったわけでも、そこで作られたわけでもなく、もともとあったものが集められたわけである 。これらは全て庶民レベルの口承によって支えられている。英語圏の国の子なら三歳の子でも知っていることになるわけで、アリスを読んだ際に、詩のもじりになっていればすぐに面白さにきづくことができ、私たち英語圏外の人間の倍はアリスを楽しめることになる。
では、わたしたちはほんとうにそのせいで、二つのアリスの面白さが還元されてしまい、どんな風に翻訳されていても、そのままの情報が、イギリス人が理解するような情報量で伝わることはありえないのだろうか。

Aどのように翻訳したらよいのか
ウォレン・ウィーヴァ−(Warren Weaver ,1894〜1978)は、『Alice in Many Tongues』のなかで、もじり詩文を翻訳する場合には3つの方法があるといっている。
1. その翻訳しようとする言語の、よく知られた同じようなジャンルの詩を選び、英語の作者のスタイルを真似して、もじる。これが最も鋭くて満足できる。
2. 逐語的に多かれ少なかれ機械的に翻訳する。満足度は減少するが、多くはその詩が有名な詩のもじりだということを知らずに、ちょっと偏ったナンセンスな詩だと思いながら訳す。その国の言語でかかれた同じような性格の適当な詩のない言語ではこうするしかない。
3. 全く違ったナンセンスナ詩を作って置き換える。
1.2.3どれもなるほど、と思ってしまうかもしれないが、先の「なぜアリスの翻訳が難しいか」でも述べたように、1だと、現在、日本はもうかなり西洋文化に親しんでしまっているし、ここで突然日本のよく知られている詩を持ってきても変な印象を与えるだけではないかと思う。アリスのお話は、西洋のものとして、理解しつつ読んでいる可能性が高いため、いきなり、どんぐりころころだったり、わらべ歌だったりが、はいってしまうと、それがいくらもじり詩文にされていても違和感が残るだけかもしれない。これは特に日本においてだと考えられる。
2.がいま一番多く行われている翻訳の仕方であるが、やはり、キャロルが伝えようとした情報はそのやり方だと殆ど伝わらないに等しい。もじり詩文にしていても、もじり詩文だということがまずわからない、美しく韻を踏んでいてもそれも伝わらない。たしかにへんてこりんさは伝わるかもしれないが、これでは、せっかくキャロルが用いた詩の意味も成さないし、もじり詩文にした意味もだいぶ失われてしまうような気がする。
 3.にしてしまうと、これはまたこれで、せっかくのキャロルの味は全く失われ、その翻訳者のセンスに任されることになり、翻訳というよりは、創作になる。キャロルの本を読むという点ではちょっとおかしくなってしまう。

B  マザーグース・もじり詩文
 まず、資料Aの"How doth the little…"で始まる働き者のミツバチの詩を暗唱しようとしたとき、アリスの口からつい出てきてしまった詩を例に話しを進めてみる。この原詩は、当時の神学者で、詩人のアイザック・ウォッツ(Isaac Watts)の『子供達のための聖歌集』(Divine Songs for Children,(1715))の中のよく知られた詩、「怠け心といたずらを戒める」という以下の詩であるとされている。

 How doth the little busy bee     ごらんかわいいミツバチさんが
Improve each shining hour,       きらめくじかんをむだにしまいと、
And gather honey all the day      終日せっせと蜜を集めて 
From every opening flowers!      開いた花を飛び回る! 

How skillfully she builds her cell!    作ったその巣のみごとなこと!
How neat she spreads the wax!     ひいた蝋のそのうすさ!
And labours hard to store it well    休む間なく働いて、その巣を蜜で満たします。
 With the sweet food she makes.      花から集めた甘い蜜で!

 子供達のうんざりするこういう教訓的な内容の詩が、何の教訓も含まない詩に変わっていたのだ。期待と現実と、この落差の大きさが笑いを生む。しかも、その笑いは耳に快い見事な韻で味付けされている。原詩のbee/day, hour/flower, cell/well, wax/makesという韻は、キャロルのもじった詩の中ではそれよりもずっときれいに、crocodile/Nile, tail/scale, grin/in, claws/jaws という、子供達のよく知っている具体的なものを表す語で完璧に置き換えられている。 しかし、これを日本語に訳すとなると、やはり上記でも述べたように、韻の面白さは伝わってこない 。原詩を知らないことに増して、音の快い響きが伝わらなければ、とっぴなイメージはばかばかしさでしかないということになってしまう。実際、私がディズニーの『不思議の国のアリス』を何も知らずに(もじりや言葉遊びのことを考えずに)見たとき、この部分は、ただ変なことを言ってしまったのだな、ということしか伝わらなかった。それも、アリスが、「おかしいわ」といっていたから、その詩が正しい詩とは違うことがわかっただけである。
 この作品では、きわめて重要な要素である詩のもじりの部分が、たくさん出ている日本語訳の『不思議の国のアリス』をみても、あまり重視されていないのが現状である。気にも留めないで訳している訳者、気にしていても、原詩を知らなくても英国の人たちと同じだけ楽しめるように訳されている本はまだ殆どない。それは、各訳者がそれぞれ工夫を凝らして原詩を完全に研究しつくして、原作で最も面白いこの部分をいくら面白く訳そうとしても、読者に元々そのもじりを受け入れる背景がないので、感動が伝わらない、したがってこの部分でいくら試行錯誤しても、問題にならないのだ。そして、たとえ、私たち誰もが知っている何かの詩(できれば教訓詩)をもじり、作品の中に訳しこまれた時代の文化もりこみ、読者の日本人がアリスの頓珍漢ぶりが伝えてみようと思っても、実際現在、皆が共通のイメージのわく詩があるのか、後に残る味は不自然ではないのか、を考えると、西洋の古い絵本にいきなり日本の詩をもじっていれたら明らかにおかしく、それをおこなうこと事態に勇気がいることはあからさまである。日本は、特に有名な人の詩を尊び敬う傾向にあるので、いきなり翻訳者がその詩をもじったら、読者に受け入れられない可能性もある。
  このことは、マザーグースの中のとても有名な"Humpty Dumpty"(資料の25)や"Tweedledee , Tweedledum"などにも、同じことが言え、これらのせっかくの民謡や文化の象徴は、物や、そこに新しく入る知識の一つでしかなくなってしまう。ただ、ここで、ハンプティーダンプティーなどを始めて知り、絵を見てどんなものかを知り、詩を見てこの詩の中の登場人物だと知ることができれば、もちろん、これから新たに出る絵本などで、同じものが出てきたら、あ、これは不思議の国のアリスで出てきた面白い人だ!詩だ!と思うことはできる。しかも、不思議の国のアリスが、海外のしかもイギリスのお話しだということまで知っていれば、だんだん似たような印象を抱くことが出来るようになるのではないかと思う。ディズニーのアニメではそういったものがよく出てくる。表現や翻訳がどうなっているにせよ、それが固定化して今の日本の文化に浸透していけば、新しい文化、新しい常識として染み付き、文化の壁が少し薄くなる気がしてならない。
 しかし、これは英語・日本語の発音、聞こえてくるサウンドは変えることはできない。これは、言語が同じにならない限りはわかりえない面白みであるかと思う。同じ単語で、同じ意味を表し、同じサウンドを持つものはほぼ違う言語ではありえない。そのため、一番初めに出した例の、"ごらん、かわいい・・"の詩のもじりの面白みはやはりいつまでたっても伝わらないとおもわれる。

C かばん語、新造語、古語、逆成のまざりあい
 では次に、上記を踏まえたうえで、資料の16をみてもらいたい。これは、アリスがあまりよく理解できず、ハンプティーダンプティーに解説を求めた、"ジャバウォッキー"という詩である。文法的にはたしかに英語のようだが、内容を見てみると、英語のようで英語ではない。単語が全く意味不明なのである。これが始めて登場したのは、キャロルが23歳のときに発行した家族回覧誌『Misch masch (ごたまぜ)』の中である。この『鏡の国のアリス』の中ではそれに続いてかばん語、新造語、古語、逆成を見事に使いこなし、聞いただけでは意味がさっぱりわからないが、文字を見て、ハンプティーの説明をききながら考えてみると、これが見事に意味を成しているのである。
かばん語(portmanteau word)とは「両開きの旅行かばん」から転じて、二つ(以上)の語が意味的にも形の上でも混成されて一つの別の語になったもののことを言う 。
この詩の中で、例をあげると
brilling (=boiling 「焼く・あぶる」+ things/dinner「食べ物」)
slithy (= slimy 「ほっそりした」+ lithe「しなやかな」)
wabe (=way 「方角」+ before/behind/beyond「前後左右」)
mimsy (=miserable「惨めな」 + flimsy「薄い・もろい」)
mome (=from「〜から」 + home「家」)
といった具合である。日本語訳を読んで意味がわからない、と原作を読み、辞書で調べたところでまったく理解ができないのだ。
 また、新造語ではtove・borogove・rath・outgrabeなどが、ハンプティーによって説明され、やっと納得できる部分である。そのほか、古語のgyre(「回転機のようにぐるぐる回る」)、逆成のgimple(名詞のgimlet「錐」から人工的に動詞を作った。「錐で穴を開ける」)などキャロルが作った言葉が英語の文法に乗せて組み合わさっている 。
 こうしてみると、なんとも簡単な単語たちが、くっつきあって、意味を成す単語になっていたのだ。山形浩生の訳に載せるとこのようになる。
それは煮(に)そろ時(じ)、俊(しゅ)るりしオモゲマたちが
幅かりにて環繰(わぐ)り躯捩(くねん)する頃
ボショバトたちのみじらしさ極(きわ)まり
居漏(いろ)トグラがほさめる頃
かれは、こう訳した上で、ハンプティーに以下のように説明させている。
『煮(に)そろ時(じ)』夕方四時のこと。晩ごはんのために、そろそろ煮はじめる時間。『俊(しゅ)るり』俊敏(しゅんびん)でぬるりとした。俊『敏(しゅんびん)』は元気がいいというのと同じこと。
『オモゲマ』アナグマのようなもの。―トカゲみたいでもある―さらにはコルク抜きのようでもある。それと日時計の下に巣を作る。それと、チーズを食べて生きている→アリスの返答「ずいぶんとへんてこな生き物なんですねえ」
『環繰(わぐ)る』環球儀みたいにぐるぐるまわること。
『躯捩(くねん)する』コルク抜きみたいに穴をグリグリと開けること。
『幅かり』日時計のまわりの草地のこと。そいつが手前にも奥にも横にも、ずっと幅をとってあるから。そかもいたるところ、葉ばかりだから。
『みじらしい』みすぼらしくてみじめ。
『ボショバト』はやせたショボい鳥で羽がそこらじゅうに飛び出している―歩くモップみたいなもの 
『居漏(いろ)トグラ』トグラは緑のブタみたいなもの。居漏(いろ)は居場所から漏れたを縮めたんであろう。つまりは迷子になった、ということ。(ハンプティーもよくわからない)
『ほさめる』ほえるのと口笛の中間で、間にくしゃみみたいなのが入ったもの 。
 私は、この訳ずいぶん考えられていてうまくハンプティーに説明させることで英国の人が普通に読んでも意味がわからないという情報量を、うまく表現していると思った。     
そして、ここで私がもう一つ注目したのが、日本語に訳す場合漢字とひらがなのバランスである。英語にはない、日本特有のもので、使いこなせばかなり違った訳ができる。この『ジャバウォッキー』で、高橋康也はこう訳している。
そはゆうとろどき、ぬらやかなるトーヴたち
まんまにてぐるてんしつつ ぎりねんす
げにも よわれなるボロームのむれ
うなくさめくは えをなれたるラースか
他にも、ひらがなだけで訳している人はかなり多い。しかし、これでは情報量がかなりかけていると思う。それは、ひらがなまみれだからだ。ふつう、子どもが(私達でも)何かを見て、むずかしい、よくわからないと思うときは、なによりも知らない漢字が使ってあるというのが大きい。ひらがなだけで、一見荘厳でもっともらしく、しかもでたらめ、というのをつくるのはとても困難だと思う。これ以外の多くの訳でも、あとのハンプティーダンプティーの解説にあわせ、だじゃれのつじつまをあわせることはよくできているが、『ジャバウォッキー』それ自身を詩としてそれらしく、形や見た目までこだわっているものが非常に少ない。原文を見たとき、これは古語がたくさん入っているのかなと、思わせる。それをうまく訳せるのが、漢字だと思った。
D 期待の星
 会話の中では、普通どこの国においても、常識的に伝わる暗黙の了解事項に対しては「言った」同じことになり 、わざわざ言わなくてもよいことがたくさんある。たとえば、日本で昨日雨が降ったとして、「私、昨日たくさん洗濯しちゃったのよ」といったら、明らかに外(普通は家のベランダなど)に干したかったと考えられ、干せなかったと理解するのが日本の常識である。しかし、たとえばアメリカで、外で乾かすという習慣があまりないので、「それでどうしたの?」とその続きをいわないとたくさんの服を乾かすことが出来なかったことは伝わらない。英語で洗濯物を干すというのは、普通dryといい、外に出す場合、dry the washing in the sun といったように、in the sunをつけることで、外に出したことをわざわざ強調することでもよくわかる。 キャロルはこのことを前提に、あたかも続きはこうなるであろうという予測を読者にさせておいて、実は全く違う結論をだすということをこの作品の中によく使用している。このことは、第三章のロジックを含む冗談のところでもふれる。 
 しかし、上記の説明でもわかるとおり、これはあくまでキャロルの育った環境、文化の常識が備わったものだけがわかる面白さになり、またしても日本の文化の中に浸っている私たちには理解できない面白さになりうるのである。
資料のIでは、めずらしく日本人ですらみたことのあるような、文章がのっている。これは、私たちも小さい頃からよく親しんでいる「キラキラ星」である。Twinkle Twinkle Little・・のあとは、英語圏の人間なら、何も疑わず、その後に続くのはstarだと誰もが期待する。しかし、実際キャロルがもってきたのはbat(こうもり)だったのだ。その後も、似たように、文の最後の語が妙な語と入れ替わっている。その上、その入れ替わった単語たちは、一つ一つきれいに韻まで踏んでいる。ここの部分の翻訳は要注意である。

きらきらちいさなこうもりさん
あなたってほんとにくわせもの!
このよのうえにぱたぱたと
そらにかがやくちゃぽん

この訳は、谷川俊太郎の訳を原詩に合わせて訳したものだが、これだと私たちにはキラキラ星の歌だと伝わりにくい。それは谷川俊太郎が原詩を訳した作品じたいがあまり知られていないからである。これがたとえば

きらきらひかるおそらの こうもりちゃん
まばたきしては あたまのうえをとびまわルン
きらきらひかる ちゃぼんのようニン

だったら、どうだろう。これは私の勝手に考えた訳なので、基本もできていず、まったく的をえていないかもしれないが、元々この歌が訳され小さい頃から私たちが親しんできた形:

きらきらひかる おそらのほしよ 
まばたきしては みんなをみてる 
きらきらひかる おそらのほしよ

から変えないと、面白さもなにも伝わらない。キャロルの伝えたかったおもしろさを全て伝えられているかはわからないが、元々知っていて次にこの言葉が来るだろうと思わせて、こうもり??と、不思議になり、そして、次の行にも韻を踏んでこの言葉!というのが彼の伝えたかった最大の情報であると考えれば、はじめに書いた訳だと、ただ面白い詩だとしか思えず、言葉遊びはほとんど伝わってないに等しいことになる。

U言葉遊び・キャロルが作り出した語、またはナンセンス語
@ 音(異綴同音異義・同綴同音異義・類似音)
言葉遊びといってまず思いつくのが、これらであろう。異綴同音異義(homophony)は、発音は同じであるが綴り、意味が異なるものである。不思議の国の中から例を出すと、資料のB、C、Rである。同綴同音異義(homonymy)とは、綴りと発音は同じであるが、意味が違うものである。資料のPがその例である。類似音の例は、F,Mである。
一つ一つ、翻訳の面白さについて考えてみる。まず、異綴同音意義をみてみる。これは日本語で言うと、雨(あめ)と飴(あめ)が漢字で表記されているようなものである。はじめの例では、同じような音のため聞き違えたという翻訳がなされている。   
資料Cは、たいていどの絵本にも描かれていて、ねずみの尻尾のように文字がくねくねしていて、それをたどるように描かれている部分である。アリスはネズミのしっぽのことばかり考えていたから、否定のnotを「結び目」のknotと聞き間違え、会話がかみ合わなくなる。そのずれの面白さを狙った箇所である。昔の翻訳者、丸山英観や、鈴木三重吉などは、全く誤訳をしてしまったり、こういった遊びを避けてしまったりしている。その後、ルビ(解説)を加えて英語の面白さを伝えようとしたものがでてきた。日本語で訳した単語の横に、英語のサウンド(ノット)などを横に振り、これは英語だと同じサウンドの単語になるということを伝えようとしている。たとえば福島正美の訳をみてみる。
 「ごめんなさい」アリスは恐れ入っていいました。「もう五番目のノット結びめまできたんで
したね?」
「ノット結びじゃない!」と、鼠は誤記荒く、怒気ものすごくいいました。
「ノット結び目ですって!」……「私が手伝って、ほどいてあげるわ!」
アリスは「曲がり」のつもりで、「もう5番目の結びまできたんでしたね?」といったのに、鼠は「結び」を「終わり」の意味でとって、「結びじゃない!」と怒った。しかしその後、アリスが「結びめですって!」と応ずるのは、聞き違えにしても苦しい 。英語の言葉遊び、notとknotという同音異義語を明確にしなければならないと考えて訳してしまった結果かもしれない。片仮名の助けを借りるこの訳し方は、柳父章氏が『翻訳とは何か』(法政大学出版局一九七六年)で述べている論を引用すると、以下のようになる。英語を日本語に翻訳するということは、英語を話す著者が英語と言う手段で英語を解する読者向けに書いたものを、日本語を話す訳者が日本語と言う手段を使って、日本語を解する読者向けに書き直すことである。このルビと言う方法は、日本語と言う手段が不十分であるために、片仮名で表記した英語はもはや英語ではない。この場合「ノット」はnotともknotとも同じではない。柳父氏は、異質な文脈の中に置かれた外国語は、「コードや配線をすっかり切断して電気器具を持ち運ぶようなもの」であると言い切っている。言葉が上手く機能できないのだ。
 その後、ルビや解説なしに何とか工夫して日本語にし、物語としての面白さを役出し、純粋に作品を楽しもうと言う翻訳者が出てきて、日本語の可能性が改めて見直され始めた。英語の同音異義語を使っての言葉遊びは、日本語の同音異義語による伝達の食い違いに置き換えられる。片仮名、平仮名、同音の漢字、その他さまざまな組合せを使えばこの遊びは広がる。これらの方法で訳されている面白い例(生野幸吉訳)を見てみる。
  
 「ごめんなさい」とアリスはおとなしく答えました。「五番目の曲がり角に来たんじゃぁなくって?」
 「何をけったいな!」とネズミは語調するどく、たいそう腹を立てて叫びました。
 「まあ何を蹴ったの?…・蹴られた人の介抱をさせてくださいな!」

「奇妙」という意味の「けったい」が、「蹴った」とアリスには聞こえたのだ。この面白さは日本語を母国語としない人には伝わりにくいだろう。音の類似から来た聞き違えであるが、この両者の食い違いはその語を使う層(いわゆる階級とは違う地域や、性別、職業などにより、ある特定の語を使う集団)の違いから生じていることを語っているから余計面白い。「けったいな」という日本語は古語の「希代(けたい)」から来た単語だが、今は関西の方言であり、主として男性によって使われる。同じ日本語なのだが、アリスには耳慣れない言葉だったので、伝達がスムーズに行かなかったというわけである。原語のしゃれが、こんな風に訳されると、キャロルが全く意図していなかった効果が生まれる。以上の場合、それに次に述べる場合などは同音異義を訳すのにこの言葉の違いを上手く生かして成功しているように思う。ただ、キャロルの原作は層を考えての英語単語の使用をしているわけではないため、多少、情報量は変わってしまう。
  
「ごめんなさい。」アリスは、つつましくいいました。「くねくねっとカーブして、いつつめにきたところよね?」
  「目にきたどころか頭にきたよ!ほっといてくれ!」ネズミはかんかんに怒って、荒々しい声で言いました。
  「解いてくれですって?もつれ目ができたのね?…・ねぇ、もつれ目を解くのぜひお手伝いさせて!」(柳瀬尚紀 訳)

 柳瀬訳では、やはりアリスは、無心さが、アリスの生活圏ではこういう言葉のやり取りがないことを示している。原文の、完全に自分の世界に浸りきって無心になっているアリスの勘違いから来た言葉遊びを日本語で表わされていて、かなり上手い訳だと思う。
同じような例ではBがある。しっぽ文が始まる箇所で、ねずみは、Mine is a long and sad tale!と、自分のみの上話は長くて悲しいtaleテイル(お話し)だと始めるが、アリスは目の前のねずみのしっぽに気をとられていたので、これをtailテイル(しっぽ)だと勘違いしてしまう。そして、It is a long tail, certainly, but why do you call it sad?(たしかにしっぽは長いけれど、なぜ悲しいの?)とすっとんきょうな応答をしてしまうのである 。これは、いろんな翻訳者がしっかり気付いている言葉遊びで、たくさんの訳し方が見受けられた。そのまま、原作どおり、"僕の身の上話は、長くて悲しいよ、"と訳してしまったら、アリスの"確かにしっぽは長いけれど・・"の部分はまったく意味不明になってしまうのだ。

「ぼくのは、ながくてかなしいお話なのです」とネズミは、アリスのほうをむいてため息をつきました。
「たしかに、ながーい尾話(おはなし)ですねえ」とアリスはネズミの尾っぽを見おろしました。「でも、どういうところがかなしいんですか」   (山形造生訳)
この手の訳はいろいろな翻訳者によって使用されている。漢字を使用することで、尾とお話のおをかけている。漢字と平仮名の使用できる日本語だからこそできた翻訳である。ただここでは、tail,taleというサウンドをかけた言語遊びのため、お話の・おの字を尾だと、ただ聞いただけではわからないので、キャロルの面白さは伝わりきっているとはいい難い。Rも同じような言葉遊びの例である。
  次に同綴同音異義の例を資料のPをみながらみてみる。ここは、アリスがお花たちと会話を交わしている場面である。なぜ他の花壇のお花たちはしゃべらないの?という問いに、'they make the beds too soft-'と、寝床がとてもやらかいから、眠気を誘うの、という返事をしている。この、bedsの多義性「ベッド」と「花壇」と言う意味があり、ここでは二つの意味を上手くあわせて使用している。これは、日本語にもある、飴(あめ)と雨(あめ)がひらがなで表記されているようなものだ。これを日本語に訳すのは非常に困難だと思われる。しかし、日本語のサウンドをまた上手く利用した訳がある。ベッドを寝床と言うことにかけて「根床」と同じサウンドで、しかし根の床、花壇とつながるように訳されているのである。
 次に、類似音についてみてみる。資料のMでは不思議の国の、非常に変わっている海の学校の科目がたくさん出てくる。それでも、陸の学校の科目の音にどことなく似ているばかりか、意味的には、海を連想させる言葉が多く使われている。駄洒落の連続で、強引にそして巧妙に海の学校のイメージを膨らませている。キャロルの巧みな言葉捌きだ。
Reeling and Writhing=Reading and Writing
Ambition, Distraction=Addition, Subtraction
Uglification, Derision =Multiplication, Division
Mystery =History
Seaography =Geography
Drawling, Stretching, and Fainting in Coils= Drawing, Sketching, Painting in Oils
Laughing and Grief =Latin, Geek(ラテン語・ギリシャ語→語学)
これらが、海の学校で開かれている授業である。これらはいろいろな方法で翻訳されているが、少なくともどんなことを学ぶかは想像できる語を使ってあるのだから、単なる言葉遊びに終わらないで、しかも普段使わない語が適していると思う。この中の一つSeographyは、Oceanography(海洋学)という既成の語を連想させつつGeography(地理学)にも引っ掛けてある語で、ここが地上の学校ではなく、海の学校だから当然のこととして使われているのだ 。この部分の訳では、海里、トチ理、海底地理、海内ニュース、ばっ地理など、不思議な日本語がたくさん生まれている。どれも面白いがしっくりこないのも事実だ。これは、一つ一つを面白ろおかしく訳す必要もあるが、全体の科目名が全て統一されていることも重要だと思う。何となく海に関係していて、ここに出てくるからゆえに科目名らしく見えるようにしなければならない。最後のLaughing and Grifのところでは、「笑ラッテン語 と 嘆きギリジア語」としているものがあった。日本語的なセンスは別としても、なかなか忠実に訳されているなと思った。

A 意味(辞書的・比ゆ的・慣用句的意味)
次に、私が最も面白いと思った部分であり本当に英語独特の面白さである箇所をみていきたい。まず、資料の27をみてみる。アリスが王様に会いに言ったときの会話の一部である。アリスが'I see nobody on the road'(私には道には誰も見えないわよ)といったら、それを聞いた王様が'I only wish I had such eyes、To be able to see Nobody!'(私もそんな目がほしいなぁ、Nobodyが見えるようなそんな目を!)といってこの不思議な会話が始まる。不思議の国の王様は、このnobodyをNobodyという人として扱っているのに対し、アリスは、普通の英文法で否定形を表す誰も〜ないという代名詞として使ったのだ。王様は、いない人(Nobody)がアリスには見えると言う風に理解してしまった。しかし王様は、Nobodyを名詞として扱っている反面、Nobodyと言うのは見えないもの、いないものであることは理解している。私もそんな目が欲しいといっているのがそこで分かる。ここの訳は、
「うーん、道に見えるのは……だれも」とアリス。
 「このわしも、そのくらい目がよければなぁ!」と王さまは、いらだたしい声で申します。「だれもが見えるなんて! しかもそんな遠くから!・・ (山形造生 訳)
この訳ではおかしいと思う。日本語の発音にもよるが、だれもが見えるなんて!という箇所は、みんなだれでも見ることができる、という意味とか、'だれも'とNobodyを直訳していることになるが、みんなだれでも見ることができる、という意味だと、ここでは明らかに当てはまらないので後者の意味だということが分かる。ようは、だれもという日本語を名詞化しているということになる。そのほかにも、

「道にはだれも見えないわ」
「わしもそんな目が欲しいものだ、無人が見えるなんて、しかもそんな遠くの。」

これも明らかにおかしい。だれも見えないわといっているのに、無人が見えるなんてと答えるのは矛盾している。不思議の国だからわけが分からない会話が飛び交っているのだなと考えればそれまでだが、それではキャロルの面白さは何も伝わらない。アリスのいった言葉がどうしても日本語にすると、否定形になってしまうからあとの王様の応答に苦しむのだ。英語では、I seeと肯定形にしても、nobodyを使用することで全体的には否定の意味にすることができる。そこで、このような訳はどうだろう。
「道は無人ですわ。」
「わしもそんな目が欲しいね、無人が見えるだなんて、しかもそんな遠くの。」
これは私が考えた訳だが、こうすれば、確かにアリスの発言は普通に私たちが使う言葉としてはちょっと不自然かもしれないが、漢字を使うことで意味は分かるし、いえなくもない文になる。ただこれだと、無人という言葉をこの子供向けにできている絵本にのせると考えるとちょっと、堅いかもしれない。しかし、アリスのnobodyを否定形に訳すと王様との会話が成り立たなくなるので英語で読むと、あれ?なんだこれ!と子供から大人までだれもがへんてこで面白いと感じられる部分をできるだけ忠実に再現するのはとても難しい。語レベル、文レベル、全体レベルでこの翻訳を考えてみれば、全体レベルでは、おかしな国にいるので、会話が変に成り立たなくても良い、と考えられるかもしれない。しかし文レベルだと、原文では会話が成り立っていないというよりは上手く語を使いこなして英文法的には成立している。しかも、キャロルはこの文レベル、語レベルでの面白さを強調したかったはずである。そのため、最初の二つの翻訳では、全てのキャロルの情報を伝えたことにはならないのだ。
 次に、もうひとつ面白い例で、英語での慣用表現をうまく使った不思議な会話を見てみよう。資料のHでは、アリスが、おかしなTea partyに参加したときの会話の一部である。ここでは、名詞を固有名詞にするという技がはいっている。' I might do something better with the time、than waste it in asking riddles that have no answers.'(もう少し時間をうまく使ったら?そんな答もないなぞなぞばかり聞いて時間を無駄にしていないで。)というアリスに、'If you know Time as well as I do, you wouldn't talk about wasting it. It's him.'(もし私と同じくらい時間と良く知り合っていたなら、それを無駄にするなんて呼び方はしないね、彼だよ。) このカッコ内の訳は自分で訳したものである。ここでは、いきなり、timeをTimeと、また大文字にすることで、固有名詞にして時間さんという扱いにするところから始まる。そのあと、アリスは何のことだか分からずでも話しをすすめていく。そこで、いくつも、timeをつかった慣用表現を出して、話はどんどん違う方向にむかっていく。たとえば、beat time(拍子を打つ),kill(murder)time(暇をつぶす)などをそのままの単語の意味でとって、時間をたたく、時間を殺す、など話はどんどん恐ろしくなるのだ。日本語でも、実は時間を利用した慣用表現がいくつか存在する。「時を刻む(きざむ)」「時間をつぶす」などだ。これを上手く当てはめてその続きの文を翻訳すると、
「たぶんないわね、でも、音楽を教わるときには、こうやって時間をきざむわよ」
「おぅ、それだそれ、そのせいだよ。かれだってきざまれたらかなわないよ。・・
これなら、そういう意味じゃないことは分かりつつ、うまく言葉のあやを使い面白く、理解することが可能になる。この例では、原作から日本語への翻訳は日本語にも慣用表現が存在することで、成功していると思う。
 このように、辞書の通りの意味で理解させるという箇所は他にもいくつか出てくる。例えば資料のNなどである
B 表現(疑問文の答えかた)
ウォレン・ウィーヴァ−は、Alice in Many tangues の中で、このキャロルの独特のトゥイスト(twist=曲解)を他の言語に移し変えるのは極めて困難だろうという。それは、「これらの全てのユーモアや驚きの要素は、おそらくたいていの英語国民は母国語だけでできる言語の付随的な意味の微妙な解釈にかかっている」からといっている。彼のいうtwistとは、全く知らないことを、「知っているだろう」といったり、コミュニケーションが終わらないのに、突然相手の意思を無視して話題を変えたり、相手を攻撃したり、全く意表をつくような返事をして説明も加えなかったりというようなことである。彼はこのtwistのある箇所をいくつか指摘しているが、その大部分が、アリスの英語がこれほど研究されているというのに、日本の研究者には問題視されていない。それは英語で読む場合に特に気にならないし、日本語に翻訳するに当たってこの部分がほとんど意識されていないからだろうと思う。英語の「付随的な意味の微妙な解釈」が私たちにはほとんどできないという場合もあるが、大部分の箇所がそれほど意識しなくても私たちには読み取ることができ、たとえそこが訳してなくても、大して問題がないということだろう。実はちょっと注意すると、私たちの周りにはこういうやり取りがあふれているのだ。漫才などはこのtwistの連続である。
疑問文の答え方で生じたおかしさを資料のLを例にみてみる。いつも自分中心の女王様が、自分に従わなかったトランプの家来に対して、首をはねろ!と叫んで他の家来がそのトランプたちの首を切ろうとした場面である。'Are there heads off?' (彼らの首を切ったか?)という女王様の問いに 'Their heads are gone'(彼らの首はなくなりました。)と家来達が答えている。ここでおかしいのは、実際に首をはねたから首がないのではなく、彼らがどこかに隠れてしまっていないため、首自体(身体)がないのだ。それを、この家来はTheir heads are goneという一つの文でどちらにでもとろうと思えば取れる返答でうまくごまかしているのだ。自信の権威には絶対の自信を持つクイーンは、命令どおりに処罰されたものと一人合点してしまう。トランプたちはクイーンの質問の真意はわかっていながら巧妙な答え方により自らある意味での一面の真理を伝えつつも、言葉もあいまい性をうまく利用して言い逃れている。これは日本語でも使える場面である。YES、NOの質問に対しうまく、文を使用することで英語で読んだのと同じように伝えることができる。
「あやつらの首はちょん切ったか!」
「あのものどもの首はもうありません」
こうすれば、首はありません、ならば、死んだという意味にもなるし、首自体が消えたという風にも理解できる。これならばかなり翻訳としてはうまくいっていると考えられる。

C 文法(語順・造語)
英文法と日文法のちがいゆえに、翻訳が難しい例もかなりある。会話の中断させても文事態は成り立ってしまうという例を資料のKでみてみる。ココでは帽子屋が聞いたこともないようなものの絵を見たことがあるかという問いに、アリスが答える場面だ。
`Really, now you ask me,' said Alice, very much confused, `I don't think--'
「今度は私に話を振るのね。」アリスは困惑して言いました。「私は・・考えてない」
`Then you shouldn't talk,' said the Hatter.
「それなら話さないでくれ。」と、帽子屋が言いました。
これは、日本語に訳すのは非常に難しい。といっても、日本語訳のここの部分を読んで不思議に思った人もきっとそんなにはいないはずでもある。自然に訳そうと思えばできるからだ。たとえば、
「さてさて、そう言われてもあたしだってそんなこと」とアリスは、頭がすごくこんがらがって言いました。「いままで考えたこともないし――」
 「じゃあだまってな」と帽子屋さん。      (山形訳)
不思議なところは特にない。しかし、原文を見てみて、しかも声に出して読んでみるとよりいっそう面白さと、ひねりの意味がわかってくる。ここでは、アリスが'I don't think-'と言った隙に間一髪いれず、then you should't talkと言い返されているのだ。I don't thinkの後に文が入っていることを全く無視し、私は考えない、と言ったと勘違いし帽子屋に、考えてないんだったら話すな、といわれてしまうのだ。絵を見たことがあるか?ときかれて、I don't think…と答えたということは、I don't think I saw itのように、いや、見たことがないと思うわ、といいたかったはずなのだ。言わなかったけれど、質問された内容の答えとして、当たり前に伝わるなうようだったのだ。そして、talk をthinkすぐあとに持ってくることで韻までも踏んでいる。ここまでくると、日本語で同じ情報量で訳すのは非常に困難になってくる。語順が日本語とは逆で、その文が半分に切られてしまっているので、たった3語を訳すのにもとても悩んでしまう。「私は見たことがないわ」と完全に否定するのでなく、この後にあたかも文やなにかが来るようなあいまいさがあり、なおかつそこで文が切れてもおかしくないような返事を返す方法が一番かもしれない。
「自信ないけど・・・」
「自信がないなら話すな」   (高橋訳)
これなら、少しはしっくりくる。ただ、韻踏みの面白さ、いかにも、帽子屋が唐突にそこで返事をしたといった状況の現われはでていない。
 もう一つ英文法と日文法の違いから生まれた翻訳の問題についてあげてみる。資料の@では、アリスが穴に落ちて変な場所にたどりつき、いろいろ飲んだり食べたりすると身体が大きくなったり小さくなったりするという場面である。そこで、あまりにも変なことばかり起こるので、つい言葉まで変になってしまい、
'Curiouser and Curiouser!' (she was so much surprised, that for the moment she quite forgot how to speak good English)
(おかしいなったらおかしいな!(アリスはあまりにも驚いてしまって、ちゃんとした英語の喋り方をすこしのあいだわすれてしまいました。))
と続く部分である。普通二音節以上の長い形容詞、副詞は、比較級のときには語尾にerをつけない。Curiousに−erをつけるのは、外国語としての英語学習者ばかりか、母国語の習得家庭で子供が犯す許容範囲のまちがえであろうが今ではキャロルの造語の一つのように考えられているようだ。そしてそのあとにしっかりカッコで彼女がきちんとした英語が話せていないという理由まで付け加えてある。ただし、ここで原文ではgood englishという語を用いているがgood english(よい英語)は、上品な英語、立派な英語、まともな英語のどれになるのだろうか。Curiouserがどんな間違えなのかにきずけばおのずと答えが出る。アリスが全く間違った英語を喋っているわけではないし、下品な英語を喋っているわけでもないからである 。この部分は本当にいろんな訳で表されているが、比較級が日本語にないから(そのような間違え方が存在しないから)難しいかもしれないが、その後に、しっかりと、good English、つまり、まともな英語、正しい英語がしゃべれなかっただけと説明されているので、まともではない、普段あまり使われないような日本語に置き換えれば完全ではないにしても、かなりの情報量を含むことが可能になると思う。たとえば、「おかちいな、おかちいな」のように、赤ちゃん言葉など、アリスくらいの子供だとこんな言葉を発するのはおかしいと思えて、なおかつ、正しい日本語ではないものであれば一応、ここでの伝達情報量は日本人にも伝わるのではないかと思う。
これは文法上間違ってる日本語で言えば、・お と ・を、・わ と ・はの区別のようなことではないかと思った。しかし、ここでは実際声に出したサウンドが違っている面白さが伝わらないと意味がないため、これらはサウンド自体は同じであるが、文法上の間違えになるので、当てはまらない。

Vロジックを含む冗談
意味論
最後にあまり深くは触れないが、キャロルの意味論の世界でお話の面白さを際立たせている箇所を例を用いて考えてみようと思う。
資料のDを見てみる。これは、アリスがきのこを食べて体がとてつもなく大きくなってしまい、首がにょろにょろ伸びて、木のてっぺんまで来てしまったときの、鳥との会話の一部分である。ここでは、蛇というものがどういうものか、人間というものがどういうものかについて意味論的に、キャロルに代わって鳥が分析している。「蛇」という語は@「にょろにょろしている」とA「卵を食べる」という意味成分をもっている。この二つの成分は蛇であるための必要十分条件である。したがってにょろにょろと長い首をして卵を食べるアリスはいやおうなく「蛇」のレッテルを貼られることになる 。ここで定義されている蛇は、にょろにょろしていて卵を食べる、であり聖書にでてくるあの、知恵の実のある木にいた人を騙す蛇と定義をされていない。そのためその背景を知らない(キリスト教の知識のあまりない)日本人でも十分理解できる内容の条件である。そのため言葉の中に含まれる意味を深く考えることなく、日本語にし、日本語の蛇が含む意味をと照らし合わせて理解すればよいことになる。ここでは、このようにいかにも論理的に鳥に言いくるめられて、アリスは自分が人間の女の子であることに疑心を抱くシーンである。
 次に、資料のGをみてみる。ここでは公爵夫人の足元でいつもにんまりと笑っている猫が登場する。なぜあなたの猫はあんなふうに笑っているのですか?と問うアリスに、公爵夫人は、チェシャ猫だから、と答えている。どうも不思議の国ではチェシャ猫というものはいつも口が裂けそうににんまり笑いを浮かべているものであるらしい。にんまり笑い(grin)はチェシャ猫の属性ということになる。近くの木の枝にチェシャ猫がとまって、相変わらずにんまり笑いをうかべていた。しばらく会話をするうちにチェシャ猫は突然消えてしまう。そして、少し経つと猫はもう一度現れる。そして猫が今度はゆっくり消えていった後、にんまり笑いだけが最後まで枝に残っているのを見た。それがこの資料に載せた場面である。
`Well! I've often seen a cat without a grin,' thought Alice; `but a grin without a cat! It's the most curious thing I ever saw in my life!'
(にんまり笑いをしない猫はよく見かけたけど、でも猫のいないにんまり笑いなんて!生まれてはじめてこんな珍しいものみたは!)
猫という固体がまず存在し、それが笑っているという認識の仕方をするアリスはごく常識な人間だ。「にんまり笑い」は、名詞であるからには文の主語にすることが出来る。チェシャ猫という実体の属性であったはずの笑いは今やそれ自体が実体のステータスを得た。言葉で言い表せることは、全て実体を持っているのだろうか。「丸い四角」、「一番大きな数」など、言葉では言うことが出来るが、実体を伴わないものは実はたくさんある。不思議の国では、特質がいったん名詞として表されると今度は実態と化してしまう、この例でそれを表現した。先に述べた「Nobody」や、「Time」も、上記のように言葉遊びとしてではなく、意味論としての面白さも含まれていたのだ。
 また、資料の26では、アリスが鏡の国でハンプティーダンプティーと出会い、会話を交わしている一部分である。
`My NAME is Alice, but -- '
(私の名前はアリスですけど・・・)
`It's a stupid name enough!' Humpty Dumpty interrupted impatiently. `What does it mean?'
(ふん、ばかげた名前だ、どういう意味だね。)
`MUST a name mean something?' Alice asked doubtfully.
(名前には意味がなくちゃいけないの?)
`Of course it must, my name means the shape I am -and good handsome shape it is too. with a name like yours, you might be any shape , almost′
(もちろんだ。私の名前は私の体系を意味しておる。お前さんのような名前だと大概どんな体系でもかまわんということになるな。)             (柳瀬尚紀 訳)
英語では、the chimpanzee 、Santa Claus、やAliceは特定の固体を指示している。それらは名前であって、「チンパンジーであるもの」、「サンタであるもの」「アリスであるもの」という意味を表すわけではない。アリスの言葉は、この直感を代弁している。しかし、「概念Aは概念Bである」というパターンしか持ち合わせない論理学者のハンプティーは自分が「ずんぐりむっくりであるものなのだ、アリスはどういう意味なのか」、と尋ねている。たとえば、美香子という名前の人は美香子という普通名詞と同じ意味を持つだろうか。 名づけ親は"美しい香りの子"に育つようにと願って名前をつけたのかもしれないが、その名前の人が美しい香りを放っているかといったらそうとは限らない。複数の見知らぬ人の中から、美香子と言う名前の人を特定することも出来ないだろう。そういう意味では名前には意味がないわけだ。固有名詞はあくまでも固体を指示するわけである。普通名詞は、たとえば、CUPは取っ手の付いた、通常は温かい飲み物を入れるものを意味し、glassは取っ手のない、ガラス製の冷たい飲み物を入れるものを意味する。こういった英語の普通名詞はそれ自体では特定のものを支持することはない。普通名詞のchimpanzeeはチンパンジーのことを意味するだけで、どのチンパンジーだとはいっていない。普通名詞は概念を表すのである 。よって、アリスを指示するのはアリスという女の子自体であって、アリスという名前の概念ではないわけだ。ハンプティーはそれを知ってか知らずか、アリスを困惑させる質問を投げかけたわけだ。
 これはもっと深く考えなければいけない内容になってしまうので、今回はあくまで翻訳を主とした論文のため、これ以上は触れないが、キャロルの論理的思考をひねり、実は子供の絵本の中にここまで考えられる要素が含まれていたことに触れてみた。
 このような意味論を含む箇所は、ほかにも資料の18や23がある。これらはいずれも、日本語に訳すことはそれほど大変な箇所ではない。私たちが、それらの作品(翻訳された本)のその箇所を読んだとき、キャロルの狙っていた意味論の世界に入ることが出来るかが問題になるのである。

まとめ
言葉遊び、マザーグース・詩の翻訳は可能なのだろうか不可能なのだろうか。
翻訳とは、元の作品に含まれている意味、情報の内容、聞こえのサウンドをできるだけ変えずに違う言語で伝えることだと思う。現実的に、これらすべての要素を同じにして翻訳するのはほぼ不可能になってしまう。しかし、日本語という特性を最大限利用し、また、デノテーション(言葉が指示しているものそのもの)だけで判断するのではなく、コノテーション(その言葉が含む、その言葉から連想する意味)なども考えた上で翻訳を行うと、不可能が徐々に可能へと近づいていくのである。
詩の場合、原詩を完全に研究しつくし、うまく訳したとしても、日本語では面白さを伝えることはほぼ不可能なのだといえる。もしこれが、私達の誰もが知っている何かの詩のもじりになっていたら、ここまで読んでいった日本語圏の読者は主人公のとんちんかんぶりをよりいっそう知ることができ、楽しくその箇所を読むことができる。本文でも述べたように、マザーグースなど、まだそれほど浸透していないイギリスの童話を日本に絵本などを媒介としてこれからの子供たちに伝えていくことで、自然と身につけることができる。日本の文化としては扱うことはしないまでも、そういった海外の文化を無意識のうちに受け入れることは十分可能だと思う。それらを翻訳で使用することで英語圏の人と同じように楽しむことができるようになるように思う。現に、『きらきら星』はもうどこの国の歌かわからないほど根付いてきている。
言葉遊びの翻訳は、一言に、可能、不可能とは判断できないことがわかった。日本にも存在する言葉遊びはたくさんあるので、それを上手く当てはめることで、キャロルの遊びをそのまま再現することができる。日本語特有の、漢字・ひらがな・カタカナをうまく利用することで一味違った、日本語のキャロルの言葉遊びがまた新たに形成することができた。
意味論で取り上げた内容は、翻訳の問題というよりは、翻訳されたものをどう解釈するか(原作をどう解釈するか)が重要になってくる。日本語で読むことで、伝わった情報量が少ないために意味論的な理解がしにくくなってしまうことはあまりないように思う。普通に読んでしまえばなんともない箇所に、(キャロルだってもしかしたら気付かなかったものまで)論理学的、意味論的に思考回路をめぐらすことで、いろいろな考え方が生み出せるのだ。
そこで、一番重要なことは、その元を考え出したのはキャロルであり、そこに原作がない限り、解釈されるものがない、考え方自体が生まれないというわけだ。
作ったものを使用する人がいて、コミュニケーションが成り立つ。読む人がいてはじめて作品の偉大さが伝わる。作品という形で無から有を作りだしたこと、その行為自体がキャロルの偉大さを表しているのだ。


不思議の国のアリス・鏡の国のアリス で使用されている言葉遊び・詩のもじり。(Lewis Carroll, The Annotated Aliceより)
不思議の国のアリス。

@"Curiouser and Curiouser!" Cried Alice (she was so much surprised, that for the moment she quite forgot how to speak good English).

AI try and say 'How doth the little-'and she crossed her hands on her lap, as if she were saying lessens, and began to repeat it , but her voice sounded hoarse and strange, and the words did not come the same as they used to do:
`How doth the little crocodile       ごらん、かわいいわにさんが
Improve his shining tail,             きらめくしっぽをみがいています、
And pour the waters of the Nile     そしてナイルの川水を
On every golden scale!              金色にうつるうろこにふりかける!

`How cheerfully he seems to grin,    にやりと歯をむいて、うれしそう、     
How neatly spread his claws,           きれいなつめをそろえてひろげ、
And welcome little fishes in        こざかなに、さぁ、おいでよと、あごを開け、
With gently smiling jaws!'              やさしくほほえみかけてます!
(生野幸吉 訳)
`I'm sure those are not the right words,' said poor Alice, and her eyes filled with tears again
 
B`Mine is a long and a sad tale!' said the Mouse, turning to Alice, and sighing.
`It is a long tail, certainly,' said Alice, looking down with wonder at the Mouse's tail; `but why do you call it sad?'
C`I beg your pardon,' said Alice very humbly: `you had got to the fifth bend, I think?'
`I had not!' cried the Mouse, sharply and very angrily.
`A knot!' said Alice, always ready to make herself useful, and looking anxiously about her. `Oh, do let me help to undo it!'
D`But I'm not a serpent, I tell you!' said Alice. `I'm a--I'm a--'
`Well! what are you?' said the Pigeon. `I can see you're trying to invent something!'
`I--I'm a little girl,' said Alice, rather doubtfully, as she remembered the number of changes she had gone through that day.
E詩のもじりの例
giving it a violent shake at the end of every line:
`Speak roughly to your little boy,
And beat him when he sneezes:
He only does it to annoy,
Because he knows it teases.'
CHORUS.
(In which the cook and the baby joined):--
`Wow! Wow! wow!'

F似たような語の聞き間違えの例
`Did you say pig, or fig?'said the Cat.
`I said pig,' replied Alice; `and I wish you wouldn't keep appearing and vanishing so suddenly: you make one quite giddy.'
G`Well! I've often seen a cat without a grin,' thought Alice; `but a grin without a cat! It's the most curious thing I ever saw in my life!'
HAlice sighed wearily. `I think you might do something better with the time,' she said, `than waste it in asking riddles that have no answers.'
`If you knew Time as well as I do,' said the Hatter, `you wouldn't talk about wasting it. It's him.'
`I dare say you never even spoke to Time!'
`Perhaps not,' Alice cautiously replied: `but I know I have to beat time when I learn music.'
`Ah! that accounts for it,' said the Hatter. `He won't stand beating. Now, if you only kept on good terms with him, he'd do almost anything you liked with the clock. For instance, suppose it were nine o'clock in the morning, just time to begin lessons: you'd only have to whisper a hint to Time, and round goes the clock in a twinkling! Half-past one, time for dinner!'
`We quarrelled last March--just before he went mad, you know--' (pointing with his tea spoon at the March Hare,) `--it was at the great concert given by the Queen of Hearts, and I had to sing
I "Twinkle, twinkle, little bat!
  How I wonder what you're at!"
You know the song, perhaps?'
`It goes on, you know,' the Hatter continued, `in this way:--
"Up above the world you fly,
  Like a tea-tray in the sky.
Twinkle, twinkle--"'
`Well, I'd hardly finished the first verse,' said the Hatter, `when the Queen jumped up and bawled out, "He's murdering the time! Off with his head!"'
J言葉遊びの例
(Mから始まる語を探している。)
`They were learning to draw,' the Dormouse went on, yawning and rubbing its eyes, for it was getting very sleepy; `and they drew all manner of things--everything that begins with an M--'
`Why with an M?' said Alice.
`--that begins with an M, such as mouse-traps, and the moon, and memory, and muchness-- you know you say things are "much of a muchness"--did you ever see such a thing as a drawing of a muchness?'
K`Really, now you ask me,' said Alice, very much confused, `I don't think--'
`Then you shouldn't talk,' said the Hatter.
L`Are their heads off?' shouted the Queen.
`Their heads are gone, if it please your Majesty!' the soldiers shouted in reply.
M `Reeling and Writhing, of course, to begin with,' the Mock Turtle replied; `and then the different branches of Arithmetic-- Ambition, Distraction, Uglification, and Derision.'
`Well, there was Mystery, ancient and modern, with Seaography: then Drawling--the Drawling-master was an old conger-eel, that used to come once a week: He taught us Drawling, Stretching, and Fainting in Coils.'
`Hadn't time,' said the Gryphon: `I went to the Classics master, though. He was an old crab, he was.'
`I never went to him,' the Mock Turtle said with a sigh: `he taught Laughing and Grief,
N`If that's all you know about it, you may stand down,' continued the King.
`I can't go no lower,' said the Hatter: `I'm on the floor, as it is.'
`Then you may sit down,' the King replied.
鏡の国のアリス
O This was the poem that Alice read.


JABBERWOCKY

`Twas brillig, and the slithy toves
Did gyre and gimble in the wabe;
All mimsy were the borogoves,
And the mome raths outgrabe.

`Beware the Jabberwock, my son!
The jaws that bite, the claws that catch!
Beware the Jujub bird, and shun
The frumious Bandersnatch!'

He took his vorpal sword in hand:
Long time the manxome foe he sought --
So rested he by the Tumtum gree,
And stood awhile in thought.

And as in uffish thought he stood,
The Jabberwock, with eyes of flame,
Came whiffling through the tulgey wook,
And burbled as it came!

One, two! One, two! And through and through
The vorpal blade went snicker-snack!
He left it dead, and with its head
He went galumphing back.

`And has thou slain the Jabberwock?
Come to my arms, my beamish boy!
O frabjous day! Calloh! Callay!
He chortled in his joy.

`Twas brillig, and the slithy toves
Did gyre and gimble in the wabe;
All mimsy were the borogoves,
And the mome raths outgrabe.

`It seems very pretty,' she said when she had finished it, `but it's RATHER hard to understand!' (You see she didn't like to confess, ever to herself, that she couldn't make it out at all.) `Somehow it seems to fill my head with ideas -- only I don't exactly know what they are! However, SOMEBODY killed SOMETHING: that's clear, at any rate -- '
P`Put your hand down, and feel the ground,' said the Tiger-lily. `Then you'll know why.
Alice did so. `It's very hard,' she said, `but I don't see what that has to do with it.'
`In most gardens,' the Tiger-lily said, `they make the beds too soft -- so that the flowers are always asleep.'
P 意味論の例
(アリスの言ったことに反対しようと女王が全て反対の語を言おうとしているシーン。でもどれもうまくいかず、最後のnonsenseはsenseという反対語があるのに、nonsenseを「意味がないもの」と置き換え、「意味があるもの」を経て「意味がいっぱいあるもの」すなわち、dictionaryと導き出している。)
`though, when you say "garden," -- I'VE seen gardens, compare with which this would be a wilderness.'
Alice didn't dare to argue the point, but went on: `-- and I thought I'd try and find my way to the top of that hill -- '
`When you say "hill,"' the Queen interrupted, `I could show you hills, in comparison with which you'd call that a valley.'
`No, I shouldn't,' said Alice, surprised into contradicting her at last: `a hill CAN'T be a valley, you know. That would be nonsense -- '
The Red Queen shook her head, `You may call it "nonsense" if you like,' she said, ` but I'VE heard nonsense, compared with which that would be as sensible as a dictionary!'
R`You might make a joke on that -- something about "horse" and "hoarse," you know.'
S慣用表現の例
(ガラスなどの割れ物を小包で送るときGlass,with care(割れ物注意)と書く。それにかけて、Lassは日本語でいうとお嬢さん、若い娘といういみで、Lass with care(お嬢さんを慎重に扱ってくれ)と慣用表現に引っ掛けている)
Then a very gentle voice in the distance said, `She must be labelled "Lass, with care," you know -- '
21.慣用表現の例
(headとはビクトリア時代、切手のことを意味していた。彼女はheadがあるから郵便で送らなきゃという意味)
`She must go by post, as she's got a head on her -- '
22.造語の例
Alice looked up at the Rocking-horse-fly with great interest,
`and there you'll find a Snap-Dragon-fly. Its body is made of plum-pudding, its wings of holly-leaves, and its head is a raisin burning in brandy.'
`you may observe a Bread-and-Butterfly. Its wings are thin slices of Bread-and-butter, its body is a crust, and its head is a lump of sugar.'
23、意味論の例
(赤い王様がアリスの夢を見ていて、もしアリスが夢から目覚めたらアリスは消えてしまうとマザーグースに出てくるトゥウィードルディー・ダムの双子に言われるシーン)
`He's dreaming now,' said Tweedledee: `and what do you think he's dreaming about?'
Alice said `Nobody can guess that.'
`Why, about YOU!' Tweedledee exclaimed, clapping his hands triumphantly. `And if he left off dreaming about you, where do you suppose you'd be?'
`Where I am now, of course,' said Alice.
`Not you!' Tweedledee retorted contemptuously. `You'd be nowhere. Why, you're only a sort of thing in his dream!'
`If that there King was to wake,' added Tweedledum, `you'd go out -- bang! -- just like a candle!'
24.辞書的意味の例
(every otherday(一日おき)はother day(他の日)でありtoday(今日)ではない。other day(他の日)にしかジャムはもらえないのでtoday(今日)はもらえない。=結局もらうことは出来ない)
`Two pence a week, and jam every other day.'
`Well, I don't want any TO-DAY, at any rate.'
`You couldn't have it if you DID want it,' the Queen said. `The rule is, jam to-morrow and jam yesterday -- but never jam to-day.'
`It MUST come sometimes to "jam to-day,"' Alice objected.
`No, it can't,' said the Queen. `It's jam every OTHER day: to-day isn't any OTHER day, you know.'
25. `Humpty Dumpty sat on a wall:
Humpty Dumpty had a great fall.
All the King's horses and all the King's men
Couldn't put Humpty Dumpty in his place again.'
26.`My NAME is Alice, but -- '
`It's a stupid name enough!' Humpty Dumpty interrupted impatiently. `What does it mean?'
`MUST a name mean something?' Alice asked doubtfully.
26.意味論の例
(なぜ一人で座っているのか→周りに誰もいないからひとりで座っているのだ)
`Why do you sit out here all alone?' said Alice, not wishing to begin an argument.
`Why, because there's nobody with me!' cried Humpty Dumpty.
27.`I see nobody on the road,' said Alice.
`I only wish _I_ had such eyes,' the King remarked in a fretful tone. `To be able to see Nobody! At that distance too!
`Who did you pass on the road?' the King went on, holding out his hand to the Messenger for some more hay.
`Nobody,' said the Messenger.
`Quite right,' said the King: `this young lady saw him too. So of course Nobody walks slower than you.
`I do my best,' the Messenger said in a sulky tone. `I'm sure nobody walks much faster than I do!'
`He can't do that,' said the King,
28. 言葉遊び 慣用句的意味の例
`I beg your pardon?' said Alice.
`It isn't respectable to beg,' said the King.



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